⚠️ネタバレあり⚠️ 『エヴァンゲリオン』を考察! (第1回)  『人類補完計画』は単純なことに置き換え可能?! ~世界は二重構造~

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(前回からのつづき) ※予告していたより、間が開いてしまい申し訳けありません。今後の投稿はなるべく、一週間ペース目標で基本、不定期にさせていただきます。 

 

さて、最近、エヴァンゲリオンに強い興味を持ち出したきたはりゃですが、まず、大前提として、このアニメーションを鑑賞するうえで「ある特定の視点」に意識的に立って、物語を読み解く事が“意味不明なお話”にしないためのポイントになります。

 

この視点は、本質的には、『エヴァ』に限らず、あらゆる“ファンタジー”と呼ばれる物語に適用する事の出来る視点で、本や演劇、漫画やアニメーションでしばしば表現される、いわゆる「非現実」をまるっきりの荒唐無稽で鑑賞者にとって「現実に落とし込むことの出来ない」無意味でつまらない話にしてしまわないため、実は誰でも無意識(人によっては意識的に)に使っている視点であると、きたはりゃは考えています。『エヴァ』は特にこの視点のフル活用が有効なアニメーションです。

 

つまり、『エヴァンゲリオン』とは、基本的にほぼ「外的世界」の物語ではなくて、あくまで「内的世界」の物語として解釈すると、自由な発想であらゆるディテールを読み取ることが可能になります。 外的、内的と言いましたが、きたはりゃ的に好きな表現は「知覚的現実」と「観念的現実」と言った方がしっくりきてます(笑)

 

エヴァ』に限らず、『ドラえもん』にしろ『セーラームーン』にしろ『ドラゴンボール』にしろ、あれらの話を、「現実」に起こりえる事だと本気で思っている“大人”は基本的にいないはずです。 なぜなら、そんなふうに思わない事が、“大人の最低条件”とされてるいるからたです。 つまり、“まっとうな大人”にとって、ファンタジー(内的世界)とは、自分たちの知っている世界(外的世界)ではあり得ない、起こるはずのない事象を取り扱っているので、本来「つまらない」はずのものなのです。

 

おそらく、今から何十年も前の価値観だと、よく「マンガばかり読んでるとバカになる」なんて、大人達が、まことしやかに信じていたのもそのためだと思います。  

 

ですが、今現在の日本では、だいぶ事情も変わったようで、30、40、50代の働き盛りと呼ばれる世代の“大の大人たち”が 漫画やアニメーションに限らず、あらゆるメディアで、当たり前に“ファンタジー(非現実)”を楽しんでいます(笑)

 

何が言いたいかと言えば、何十年も前の昭和の時代では漫画をはじめとする人々の内面にひろがるファンタジー(内的世界)と、国や地域社会で形作られる、外の世界に広がる(外的世界)は今よりずっと、明確に別れていて、さらに、現在に至るまで、実質的に人々に最優先とされてきたものは後者の「外的世界」=「知覚的現実」なのです。 前者(内的世界)はあくまで、後者(外的世界)の世界を円滑に回すための潤滑油としてのみ、その存在を許されてきたというのが、“現実”です。  

 

いつの時代も前者(内的世界)を最優先しようとしてきた人々は一定数、存在しましたが、大概、何らかの社会的挫折をして“日陰者”として、蔑まれるか憐れまれてきました。

 

エヴァンゲリオン』に話を戻します。

少なくとも、きたはりゃはこの物語を明確に「内的世界」すなわち「観念的現実」の物語として、捉えています。

 

あくまで「観念的現実」なのであって「非現実」ではありません。 今まで皆それしかないと信じて疑わなかった「外的世界」つまり 「知覚的現実」と並列して存在する、もう一つの「現実」です。

 

念のため、保身のための言っておきますが(笑)、きたはりゃの言う「観念的現実」とは、早い話が、精神分析の始祖 【ジーグムントフロイト】が学問にまで体系化した「無意識」とそれによって形作られる、言語化されない(非言語)による対人コミュニケーションの世界のことを言っているだけのことなのです。  ですので、ある意味、至って古典的な価値観に端を発する発想なわけなのです。

 

ここまできて、重要なポイントは『エヴァンゲリオン』の登場人物には突き詰めると本質的に「他者」が存在しない。と、言うことです。 

 

この物語の“主観”「碇シンジ」くんをとりまく、サブキャラ達は、『エヴァンゲリオン』が「内的世界」の話である以上、アスカやレイがシンジくんから見て他者であったとしても、シンジくん…  と、言うよりは、シンジくんと言う“パーソナリティも”含めてこの「内的世界」を所有し統合する“何者か”にとってそれぞれのキャラクターが役割ごとに分解された“パーソナリティ”の擬人化なのです。ですので、本質的にはすべてのキャラクターはその“内的世界の所有者”の“コピー”なのです。

 

こういった捉え方を、突き詰めてすると、話が分かりやすくなる物語で他にきたはりゃが個人的に好きなものものを挙げると『デスノート』や『地獄少女』などもあります

 

まず、これらの事を、ふまえて考えることで、物語の最大のキモである「人類補完計画」とは、人の外に広がる“世間”ではなく“メンタリティー”にとって、いったいどういうことなのか? と言う視点を持つことが出来るようになります。

 

今回の本題ですが、結論から言えば精神的にも物質的にも“自己”と“他者”の境界を廃して、世界を単一化すると言うのは、きたはりゃからしたら、早い話がそれは“人としての死”だと考えています。 

 

物語の中では、それは本質的には“死”ではないと言う意味の表現もあったように思いますが… 

 

自分にとって自分ではない、自分とは違う「他者」として存在していた者達との間の境界がなくなって、最終的に自分でも他人でもない漠然と存在する単一の認識?(あるいは、認識ですらない…)でしかなくなくなってしまった状態って… 

 

それは「要は“死”だよね…??」

 

「百歩譲って、仏教で言う“解脱”???」なのかな?って、思いますが… そう言うのって、結局のとこ全部、定義の問題(言葉の問題)でしかなくて、精神的にも肉体的にも「自分が自分として存在できなくなる」状態って、難しく考えなきゃそれは「死」だよね?  

 

と、きたはりゃは考えてしまうのです(笑)

 

            次

            回につづ

              く… 

 

 

 

 

 

 

 

 

⚠️ネタバレあり⚠️ きたはりゃ『エヴァンゲリオン』を語る! その2

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オリジナルキャラクター さっち(真希波•マリ•イラストリアス バージョン)

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(前回からのつづき) 絵を描くことと、ものを考える事は密接に関係しているそうです。

いろいろ、意見は別れるかもしれませんが、きたはりゃも、絵と人の思考は強い相関性があると考えています。

 

ですので、現在、Instagramにイラストを投稿することが、生活の中心になっているきたはりゃが、絵を描くこと以外に興味を持った物事は、描いているイラストの内容に大きな影響を与えていると考えています。

そんな中、前回の記事で、きたはりゃが今現在、注目をよせている映像作品に、『エヴァンゲリオンシリーズ』(特に新劇場版) がある、というお話をしました。

 

 

前回の予告通り、まず、きたはりゃがこのアニメーションシリーズの中で関心を寄せている設定やプロット、また、それらに対するきたはりゃなりの着眼点について、羅列式にいくつか挙げていきたいと思います。

 

※『エヴァンゲリオン』の魅力は見る人、個人個人によって何通りもの解釈を当てはめやすい「汎用性」の高い物語であることだと、きたはりゃは考えています。このブログでお話することは、あくまで、きたはりゃ個人の視点による解釈や感想になります。ご興味を持っていただける方のお越しを歓迎致します。 

 

 

1、「人類補完計画」って、とても、シンプルな事に置き換え可能?!

 

2、エヴァンゲリオンの登場人物には「他者」が存在しないのか?!

 

3、登場人物の「性別」設定が話を解りづらくしている?!

 

4、碇ゲンドウ真希波・マリ・イラストリアスと言う登場人物の重要性?!

 

5、『エヴァンゲリオン』の登場人物は特定の個人ではなく、「関係性の擬人化」?!

 

6、「使徒」の識別が「パターン青」である理由?!

 

7、葛城ミサトはシンジくんにとって、理想の(こうであって欲しかった)両親像?!

 

8、エヴァンゲリオン(汎用型決戦人型兵器)とは、「外傷体験」、また、それを発端とする「防衛機制」の擬人化?!

 

9、「~インパクト」が登場人物の価値観やその時々の状況によって、必ずしも、悲劇とだけ捉えられていない理由?!

 

10、『シン・エヴァンゲリオン:Ⅱ』の終盤で、たびたび出てきた「相補性」の意味とそれに相反する価値とは?!

 

11、『エヴァンゲリオンQ』で「ロンギヌス」と「カシウス」の対であるはずの槍が二本とも、同じ形状のものであった理由?!

 

12、アスカとレイの二人は、本来人間が誰しも持つ二通りの「欲動」のそれぞれの象徴?!

 

13、『エヴァンゲリオン』を読み解く事は、「思考のデジタル化」への鍵?!

 

ざっと、こんな感じになります(笑)

 

もしかしたら、順番は入れ替わったり、新しいものが加わったり減ったりするかもしれませんが、一項目、一記事で、語っていきたいと思います!

 

お楽しみに!   つ

         づく。

前回からのつづきで、きたはりゃがなぜか『エヴァンゲリオン』を語る?!

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オリジナルキャラクター『さっち』(碇シンジバージョン)

『さっち』ノーマル他いろいろ




(前回からのつづき)少し、間が開いてしまいましたが、前回の記事で、嵐の大野くんが絵の独学を成功させた背景にあるものについておおまかに仮定し、つまりそれは具体的にどういう事なのか? という事を、これからの記事で少し時間をかけて、お話したいというながれでした。ですが、そのためにあえて、一度、絵画表現や大野くんの話題から離れて、やや遠回りな話題で、徒然に語りたいと思います(笑)

 

唐突な話のようですが、ここ数日、きたはりゃ、なぜか急に『エヴァンゲリオン新劇場版』シリーズが見たくなり、特に興味のある所謂、破、Q、Ⅱ(シン)の3作を動画配信でInstagramにあげるイラストを描きつつ、基本、音声だけ聞きながら、映像は過去に見たものを頭の中で再現しながら(最近、映像作品のそういう視聴方法がマイブーム)楽しみました。

 

エヴァンゲリオン』という作品(シリーズ)の概要の説明を今さら、きたはりゃがここでしてもきりがないと思うので割愛させていただきます。

 

その代わり、きたはりゃがこの作品群に現在や過去に持っていた、持っている印象や作品に対するスタンスを簡単にお話ししたいと思います。

 

現在40代のきたはりゃが、この作品に初めて出会ったのは、今から約27年前の1995年の『新世紀エヴァンゲリオン』テレビシリーズの初回放送を見た時です。 つまり、アニメーション化された当初から作品の存在は認識していたというわけです。

 

 

 

 

そして、昨年、劇場上映されていた最新作『シン・エヴァンゲリオンⅡ』を初めて映画館に足を運んで、見ました。

 

たまたまテレビアニメ初回放送を、初めて見た時のきたはりゃの正直な感想は、【胡散臭さ7割】【それまで知っていた、映像作品にはなかった、リアリティーとファンタジーの絶妙な調合による映像表現の魅力3割】といった所だったでしょうか…(笑) 感覚的に言うと、当時、中学2年(物語の主要な登場人物と同じ14歳?)のきたはりゃは生意気にも相当、批判的な感想をこのテレビアニメに対して頭の中で反芻していたのを覚えています。

 

そして、つい先日、過去に何度か視聴済みの、これらの作品のいくつかを見るまで、ずっと「なんか、映像や世界観には魅力はあって、興味はあるんだけど… 作品の内容を真に受けすぎて、引き込まれすぎると、とんでもなく変な方向に連れて行かれそう…😅 そもそも、すごい、深淵な事を語っているようでいて、実際の所、何を言っているのかほとんど分からない…(笑) 結局、すごく当たり前の事をわざと壮大に複雑にして、奇を衒ってるだけ??… でも、なぜか、無視出来ない…(笑)」と言ったような、どちらかと言えば批判的な認識で、自分自身を心理的に防衛しているようなスタンスをとっていました。ですが、一方では水面下では、好意的と言うか、やはりなにかこの作品で語られているテーマに対する興味や期待も持ち続けていました。

 

そして、昨日までこれらの作品のいくつかを見て、ハッキリ感じたのは、この作品は見方を工夫して見ると、見る者のカテゴリーや個人ごとの個別性を無効化しうる、恐ろしく汎用性のある、少なくとも、きたはりゃにとっては面白い物語だ! という事です。

 

とりあえず、今日は、ここまでで…。

 

何か、一見、前回の記事のコンセプトから随分離れてしまったようですが、多分、ちゃんと着地すべきとこには着地出来る予定ですので(笑)   無料(タダ)で読むことの出来るエンタメだと思って楽しんでいただけそうな方は是非、お付き合いいただけると、嬉しいです。

 

今後は基本、2~3日(最大で1週間)ペースで投稿させていただければと思います。

 

(次回、『エヴァンゲリオン』の設定、物語のプロットで個人的に注目している点からお話しします。)

 

https://lit.link/kitaharya

 

 

 

 

 

 

楽しく絵が上手くなる方法。:

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(前回からのつづき)絵の勉強を始める時のモチーフは、一見、複雑な形をした人間や生き物より、単純な形の林檎みたいな静物(非生物)の方がハードルが低い(動かないし...笑)ようでいて、静物を上手に描く勉強って、特に立体感の出し方という点では、持ち合わせの直感だけで思い通りに描くのはとても難しくて、「立体を面で捉える」とか「パース(遠近法)」とか「陰影の性質」だとか、面倒くさいルールをまずいろいろ知識として覚えないといけない上、プラスアルファ、人によって持ち合わせの得意不得意がかなり別れるクロッキー力(一定の時間でモチーフの形、プロポーションを捉える力)も左右するため、短期間で成果をだそうとするとなおさら、それだけで絵を描くのが嫌いになってしまう事があっても無理のない話しだと思います…。

 

前回の記事で物より人を描くのが良いと言いましたが、別にいきなり、人一人、モデルを用意して、モデルの顔から身体を含めた全身を描くという意味ではありません。 それだと、林檎を描くより難しくなってしまいます。

 

話しが若干それるようですが、ジャニーズのアイドルグループ『嵐』の大野くんは、アーティストとして成功をおさめた方としても知られていますが、(変にひねくってみなければ)とても上手で魅力的な絵を描かれる方だと思います。 きたはりゃの知る限りでは、彼は、美大芸大や専門学校などの専門的な美術教育をガッツリ受けていたと言う経歴は特に持っていなくて、基本独学で絵を学んだと聞いています。 独学で絵が上手くなりアーティストとして彼が成功した背景には、一つには、幼少期から、ドラゴンボールなどの漫画やアニメの模写に没頭することで、絵の表現力を磨いていったということだそうです。

 

ドラゴンボールに限らず、漫画やアニメは描くものにたくさんのタッチや陰影を描き入れて表現する「デッサン」とは違い、描かれるキャラクターや物のプロポーションの表現に関して言えば、基本的に線のみで、人物の顔の表情から全身の動き、背景の空間表現まで出来ることが前提の表現方法です。

 

特に、漫画やアニメはまずキャラクターという登場人物(生き物)が登場しないと成り立たない物なので、作画に関していえばまず、キャラクターの感情表現がどれだけ上手に出来ているかが、その作品の絵のクオリティにとって最も重要な要素になります。

 

大野くんは、おそらく、漫画やアニメの模写を入り口にして、キャラクターの身体の造形と言うよりは、まず、鳥山明先生の描く悟空やベジータのようなキャラクター達の感情表現を模写することから徹底したのではないかと思います。。そう考えると、辻褄が合うって言う話なんですが...   (そして、それはつまりどういうことなのか?と、言う事が次回につづく) 

 

 

 

絵のことを徒然と.....

絵の勉強をはじめます。 っていうと、だいたい、何処行っても、物を立体的に描く事から始める事が多い気がします...  特に、りんごがモチーフの事が多い気がします。(絵画教室とか初心者向けの通信教育とか) 

 

よっぽど、お腹が空いている時は多分、誰でも林檎に強い興味が沸くと思います。(例えば、あの、鮮烈な赤色とか、甘い蜜の香りとか...)でも、凄くお腹が空いてて、林檎が目の前にあったら多分、少なくともきたはりゃだったら絵に描くより、真っ先に食べちゃうと思います(笑)

 

そもそも、今現在の日本で林檎に欲情するほどの飢餓状態になるケースって少ないと思いますが、それなら、もっと、人一般が平均的に強い関心を持っているものを最初に描き始める方が、絵を描く事に目的意識を持ちやすいはずだとおもいます。

 

なので、絵を描く事を始めるのなら、りんごではなく、人間は人間を描くべきだと思います。優先順位から言ったら、やっぱ林檎は皮を剥いてお皿に切り分けてみんなで食べる方が向いているとおもいます。 

 

自分と似たような姿形で、似たような仕組みの心と身体を持っている存在を、実在であれ空想であれ理想的な形で白い紙のうえに存在させたいと思う欲求は、多分、言葉を扱う人間なら誰にとっても本能の様なものだと思ういます。 そう言う欲望が原動力になっていた方が、絵に限らず、どんな事でも上手くいきやすいじゃないか?と、思う、今日この頃。。(次回に続く)

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とにかく、いまは、深く考えないで、たくさん喋ります!

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子供がいるわけではないので、今ってどうなのかあまりよく知らないんですが、きたはりゃが小学生の頃の話しです。図工の授業で自分の似顔絵とかを描く時、顔の中の目や鼻や口を好きな漫画やアニメみたいにデフォルメして、可愛く描いたり、カッコよく描きたいと思うのが本来の素直な子供の気持ちだと思います。ですが、それをすると、まず高確率で、先生に人の実際の目や口と形が全然違うという理由で、リアルな表現に描き直すことを要求されるのがお決まりでした。 だけど、人や物の立体表現を専門的に学んだ事があるわけではない子供たちが、強引に人の顔を見たままに描くとどうなるかって…(笑) まぁ、ほとんどの場合、可愛くも、カッコよくもない、申し訳ないけどグロテスクな似顔絵ができてしまう事になります...  そんな経験はきたはりゃだけではなく、誰にでも一度はあるんじゃないかと思います。 

 

何故か、大人たちって、ああいう、やたら露骨に顔や唇の皺や鼻の穴がデリカシーなく顔の上に描かれた子供の絵を子供らしい良い絵だといって評価したがる気がしますが…(きたはりゃの時代だけ?) 多分、子供達が人の顔の「正確な形」を真面目に、一生懸命、努力して描こうとしていることを美しい事だと思うのでしょうか… 

 

でも、ああいう絵の人の顔って、物体としての顔の造形にこだわりすぎているせいか、だいたい、目はうつろで、何考えてるんだか分からなくて、生きてるんだか死んでるんだかも分からないような表情になっていることがほとんどの様な気がします。 子供時代のきたはりゃもこれ描いていて「絵が楽しい」と言うよりは「絵がつまらなく」なっていく感じしかしませんでした(笑) 

 

少なくとも、きたはりゃの時代に小学校の先生たちが子供たちに望んでたような絵って、人の顔の正確な形は追っかけようとしていても、そこに描かれる人物や生き物の顔に現われている「表情」をそのキャラクターがどんなことを考えたり、感じたりしているんだろう?って言うような人や生き物の心をその子なりの想像力を手掛かりに表現することは、むしろ放棄すること強要されていたと思っています。それって、残酷な事だなーっ💢と、今にして思う今日この頃。。  (次回につづく)

 

落ち着きがない感じですが、今は描きたくなったら書いて、アク抜きしたいと思います。

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ブログ始めて見て数日、誰にも見向きもされないんじゃないかと思ってたら、以外と見に来ていたたけたり、スター?(いいね見たいなの) つけていただけたり、とても嬉しいです。 ありがとうございます 😂。 できれば、

書くだけでなく、他の方の記事を読みにいったりもしたいのですが、いっぺんにいろいろな事をするのがあまり得意ではない人間なので、とりあえず今はアウトプットに専念して、おいおいいろいろなところにお邪魔させていただけたらと思います。

 

むかしむかし、(たぶん、もう18年以上前)きたはりゃは、東京都の上野公園の奥のほうにある東京藝術大学と言う絵や音楽などのアート全般を学ぶための国立大学に入りたくて、たぶん、 5 ~6浪(いや、7浪かな...)ぐらいして、結局、合格はおろか、段階的な試検も一度も通過したりする事もなく、貴重な青春が過ぎさっていったと言う切ない思い出があります。(笑) 何浪もしたのですが、美術系の予備校に通えたのは、金銭的な理由で全体のー年にも満なくて、残りはほとんど自宅学習(独学)を途切れ途切れにやっていたと言う感じです。

 

予備校での立ち位置は落ちこぼれか、鳴かず飛ばず、見たいなかんじで、先生たちからは少しも期待されていなかったんじゃないかと思います(笑)

 

そんなグダグダな浪人時代、絵を描いていて何が一番しんどかったといえば、モチーフやモデルの形を「間違えずに正確に正しく描かなければならない」と言う考えから抜け出せなかったことです。

 

なんて言うのか... 人の顔を描くとしたら、目の位置と鼻の位置と口の位置は何センチで輪郭との距離は何センチ..... 見たいな価値観で絵を描いていた気がするのですが、これは、元々絵を描く事が好きで絵を学び始めた人間にとっては、日々、地獄みたいなものでした(笑)

 

そもそも、きたはりゃは日本画志望だったのですが、芸大の日本画の試験は石膏デッサンと静物画と、毎年決まっていたため、試験勉強もほぼ、人や生き物を描いたことがなくて、花だとか果物や置物、石膏像ばっか描いてました。

 

人間の女の子と猫ちゃんを描く事を楽しんでいる今から思うと、なんであんなに物ばかり描いていたんだろうと不思議な気分です(笑)          でも、わかった事は、きたはりゃに限らず、やっぱ人間は人間や生き物描くのが一番絵を楽しく描けるし、絵が上手くなるのも早いんじゃないかな~? ってことです。。 (次回につづく)