前回からのつづきで、きたはりゃがなぜか『エヴァンゲリオン』を語る?!

Instagram 最新投稿イラスト

オリジナルキャラクター『さっち』(碇シンジバージョン)

『さっち』ノーマル他いろいろ




(前回からのつづき)少し、間が開いてしまいましたが、前回の記事で、嵐の大野くんが絵の独学を成功させた背景にあるものについておおまかに仮定し、つまりそれは具体的にどういう事なのか? という事を、これからの記事で少し時間をかけて、お話したいというながれでした。ですが、そのためにあえて、一度、絵画表現や大野くんの話題から離れて、やや遠回りな話題で、徒然に語りたいと思います(笑)

 

唐突な話のようですが、ここ数日、きたはりゃ、なぜか急に『エヴァンゲリオン新劇場版』シリーズが見たくなり、特に興味のある所謂、破、Q、Ⅱ(シン)の3作を動画配信でInstagramにあげるイラストを描きつつ、基本、音声だけ聞きながら、映像は過去に見たものを頭の中で再現しながら(最近、映像作品のそういう視聴方法がマイブーム)楽しみました。

 

エヴァンゲリオン』という作品(シリーズ)の概要の説明を今さら、きたはりゃがここでしてもきりがないと思うので割愛させていただきます。

 

その代わり、きたはりゃがこの作品群に現在や過去に持っていた、持っている印象や作品に対するスタンスを簡単にお話ししたいと思います。

 

現在40代のきたはりゃが、この作品に初めて出会ったのは、今から約27年前の1995年の『新世紀エヴァンゲリオン』テレビシリーズの初回放送を見た時です。 つまり、アニメーション化された当初から作品の存在は認識していたというわけです。

 

 

 

 

そして、昨年、劇場上映されていた最新作『シン・エヴァンゲリオンⅡ』を初めて映画館に足を運んで、見ました。

 

たまたまテレビアニメ初回放送を、初めて見た時のきたはりゃの正直な感想は、【胡散臭さ7割】【それまで知っていた、映像作品にはなかった、リアリティーとファンタジーの絶妙な調合による映像表現の魅力3割】といった所だったでしょうか…(笑) 感覚的に言うと、当時、中学2年(物語の主要な登場人物と同じ14歳?)のきたはりゃは生意気にも相当、批判的な感想をこのテレビアニメに対して頭の中で反芻していたのを覚えています。

 

そして、つい先日、過去に何度か視聴済みの、これらの作品のいくつかを見るまで、ずっと「なんか、映像や世界観には魅力はあって、興味はあるんだけど… 作品の内容を真に受けすぎて、引き込まれすぎると、とんでもなく変な方向に連れて行かれそう…😅 そもそも、すごい、深淵な事を語っているようでいて、実際の所、何を言っているのかほとんど分からない…(笑) 結局、すごく当たり前の事をわざと壮大に複雑にして、奇を衒ってるだけ??… でも、なぜか、無視出来ない…(笑)」と言ったような、どちらかと言えば批判的な認識で、自分自身を心理的に防衛しているようなスタンスをとっていました。ですが、一方では水面下では、好意的と言うか、やはりなにかこの作品で語られているテーマに対する興味や期待も持ち続けていました。

 

そして、昨日までこれらの作品のいくつかを見て、ハッキリ感じたのは、この作品は見方を工夫して見ると、見る者のカテゴリーや個人ごとの個別性を無効化しうる、恐ろしく汎用性のある、少なくとも、きたはりゃにとっては面白い物語だ! という事です。

 

とりあえず、今日は、ここまでで…。

 

何か、一見、前回の記事のコンセプトから随分離れてしまったようですが、多分、ちゃんと着地すべきとこには着地出来る予定ですので(笑)   無料(タダ)で読むことの出来るエンタメだと思って楽しんでいただけそうな方は是非、お付き合いいただけると、嬉しいです。

 

今後は基本、2~3日(最大で1週間)ペースで投稿させていただければと思います。

 

(次回、『エヴァンゲリオン』の設定、物語のプロットで個人的に注目している点からお話しします。)

 

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